100th ANNIVERSARY タカラベルモント株式会社

ビューティビジネスグループ雨宮 愼一 代表

ビューティビジネスグループ 雨宮 愼一 代表 業界の成長とともに歩むジャーナリズム

海外志向によって育まれた広く鋭い視点

「学生の頃から外国には興味がありました。戦後の厳しい時代で、交換留学生などの制度はありましたが、自分のお金ではなかなか簡単に行けませんでしたね」そう語るのは、化粧品業界・理美容業界に特化した情報誌『beauty business』や『CATs』などを出版するビューティビジネスグループの雨宮代表だ。大学では、ESS(English speaking society)に所属。そして、大学卒業後は化粧品メーカーに20年ほど勤務した。「メーカーに長年勤めるなかで、商社の友人たちが外国に駐在している話などを聞いたりすることもあって、やはり自分も海外に行きたいという想いが強くなっていきました」そこで、1980年代に外資系の医薬品の会社への転職を決意し、ニューヨークの本社で勉強することとなった。「7年弱でしたが、とにかく一生懸命に働きましたね。化粧品部門もあったのでその担当で日本に来たんです。とても忙しくて運動などをする暇もなく、肉中心の欧米の食生活だったこともあり、体調を崩してしまったんです。そして結局、1990年代前半に退職しました」厳しい経験を積んだ雨宮代表に、転機が訪れたのはその後だった。

欧米に引けを取らない業界の発展を

「前にビューティビジネスという会社を持っていた方からそれを買い取って、新しい仕事を始めたんです。1990年代の前半当時、私が業界に入ってから30年くらい経っていたのですが、その頃の業界誌は昔からあまり進歩していないと感じていました。そこで、時代とともに成長していた頃の業界誌の姿を残したいと思ったのが『CATs』を創刊した動機です」
昔は美容業界と比べて、化粧品業界に関する評論のほうが多かった。「大阪にある日本商業新聞をはじめ、立派な評論をしているところがたくさんありました。さらに、週刊粧業や日本粧業会など、そうした方々がきちんと評論する土台を作っていったんだと思います」戦後は、海外メーカーが強く、日本メーカーは業界の立ち位置として遅れをとっていた。日本メーカーがアメリカやヨーロッパの企業に追いつくために、業界誌はお目付役として、ときに厳しく、ときに励まし鼓舞することで、お互いに敬意を払いながらともに発展を遂げてきた。そうした流れのなかで、1990年代には日本のメーカー各社は、美容も化粧品も欧米に追いつき、追い越すほどにまで大きく成長した。一方で、業界誌は、上場したメーカーが一般経済紙の評論を重視する傾向が強くなったり、デザインやクリエイティブな部分にフォーカスした美容ファッション誌の台頭もあり、取り残されていくような状況となっていた。「当時の状況に危機感を感じて、黎明期にあったような、経営やマーケティングにもしっかりとフォーカスした評論を取り戻そうと考えたのです」雨宮代表のそうした強い信念と、長年の業界でのグローバルな経験に基づくジャーナリズムが、今日までのビューティビジネスグループの鋭い視点を持った業界誌作りに活かされている。

グローバル化に対応するために

雨宮代表にとって、タカラベルモントのグローバル展開は印象深い。「1990年頃、イタリア・コスモプロフの見本市でタカラさんが2から3スパンで大々的に出展していたのを今でも覚えています。それを見たときは日本人としてとても誇り高く、嬉しかったですね。初代の秀信社長の頃からグローバル展開にはとても力を入れておられましたよね。外資系ブランドに目をつけて、日本に連れてきたりもしていたので、タカラさんを恩人と感じている企業も多いのではないでしょうか」雨宮代表は、これからもタカラベルモントのそういった創業当初からの精神を大事にしていってほしいと語る。「これからはより一層、グローバル化に通用する人材が大事になってくると思います。『企業は人なり』と言われるように、タカラさんにもしっかりとそうした人材を育成していってほしいと願っています」

取材日:2017年12月18日

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