100th ANNIVERSARY タカラベルモント株式会社

株式会社ダリア 代表取締役 高木進一社長 子どもたちが働きたいと憧れる会社に

創業のきっかけとなった偶然の出会い

「父は1年前に他界したのですが、創業者である私の祖父は、今でも自転車に乗るほど元気で、先月100歳になりました。内閣総理大臣から記念の賞状と銀杯も頂きました」そう語るのは、創業75周年を迎えた、九州・福岡を拠点とする大手美容ディーラー、ダリアの高木社長だ。ダリアのルーツは、昭和21年に高木社長の祖父の高木道明氏が創業した「ダリヤ商会」にある。大正15年生まれの道明氏は、戦時中は赤紙による招集を逃れるために、一人で大阪に潜伏して自転車屋や豆腐屋などで丁稚奉公をしていた。「すでに私の父や父の兄もいたので、当時、祖母は苦労したようです。炭鉱で密造したどぶろくなどを売って何とか生計を立てていたという話を聞きました」

そして、戦争が終わって戻った道明氏が、ある日、近所の喫茶店を訪れた際の出来事が転機となる。「たまたま店に来ていたお客さんの中に、東京からパーマネントの機械を売りに来ていた人がいたそうです。そこで祖父が声を掛けられて『東京からだと遠いのであなたが九州で売らないか』と誘われたんです」最初のうちはなかなか売れずに在庫の山だったが、戦後の目覚ましい復興のなか、女性の意識にも変化が訪れて、だんだんと美容室が流行りだして売れるようになっていった。「それは盛況で、毎朝、シャッターを開けると美容師さんが店の前に長蛇の列を作っていたそうです。当時、商品は言い値で売れて、お金が箱からあふれて入りきらずに足で圧縮していたというような豪快な話も聞きました。また、祖父は人情味があって、お金のないお客さんにパーマネントの機械を無償で貸与したりもしていました」

事業継承と創業者である祖父の想い

時代の波に乗って事業を拡大していった創業者の道明氏だったが、早い時期に後継者に商売を託した。「祖父が50歳で、先代の父は20代後半のときに社長を継ぎました。父は大学を中退して東京にある美容卸の『ギンビ』さんに5年間ほど修行に行っていたのですが、戻ってすぐのことでした。後から父が祖父に聞いたそうのですが、なるべく早いうちに会社を譲れば、万一、父がダメだったときに、自分がまた復帰すれば立て直しがきくという考えが祖父にはあったそうです。最初はこっそりと祖父が帳簿などを細かく見ていましたが、一度も口を出すことはなかったようです」その心配は杞憂に終わり、ダリアはさらなる発展を遂げた。

そして、平成18年、創業60周年の節目の年に高木社長が先代から事業を継承した。同時に、CI・VIを刷新して社名を「ダリヤ」から「ダリア」に変更した。「『変更するなら大胆に」と創業者の祖父からは言われたのですが、社員たちも皆、愛着のあるダリヤの名前を捨てることはできないということになりました」大正生まれで、当時から強国だった英国に憧れのあった祖父は、英国の国花である『ダリア』から社名を付けた。「ダリアの花は、根が強くさまざまな環境にも適応できるという特性と、その花言葉が『華麗・優雅・威厳・感謝』というもので、その想いがダリアという社名には託されているんです」

タカラとともに次代の美容師に希望を

高木社長が就任して12年目となるダリアは、業績は右肩上がりで今も発展を続けている。高木社長は、ダリアの未来について明確な夢を持ちながら会社の発展に尽力している。「これまでは社員に対して、自分の子どもを入れたいと思う会社づくりをしようと言ってきました。しかし、今では社員の子どもたちに『お父さんお母さんの働く会社で働きたい』と言われるような会社を目指すようになりました。そのためには、自ずとこれからの時代の子どもたちに共感してもらえるようなビジョンや業界でのポジショニング、労働環境が必要になってくると考えます」

また、タカラベルモントの吉川秀隆社長や、朋秀専務とも親交を深めながら、タカラベルモントとともに歩んでいく未来にも大きな期待を寄せている。「タカラさんはこれまでもずっと、自社だけではなく、業界全体の発展を考えてこられたと思います。最近では『アクアフォルテ』、あれは本当にいい商品ですね。当社がおそらく一番売っているかと思います。オートパイロットやデジタル化が進むなかで、タカラさんには、業界のリーディングカンパニーとして、これからも美容師の生産性を高めて、次代の美容師のなり手が業界に魅力を感じて、豊かな生活を送れるように、さまざまなご提案をお願いしたいです。私たちもより良きパートナーとして、共感しながらやっていきたいですね」

取材日:2018年11月29日

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