100th ANNIVERSARY タカラベルモント株式会社

福山商事株式会社 代表取締役 故 佐藤幸永会長 できることはすべて身をもって挑戦した

明治時代に三重の地で創業

「私が入社したのは昭和32年、中学を出てすぐでした。丁稚奉公のようなかたちで、当時は頭も丸坊主でしたね」福山商事は、富山から出てきた初代が明治38年に三重の地で創業し、110周年を迎えた老舗の理美容ディーラーだ。同社の三代目、佐藤会長は入社当時を振り返ってさらに続ける。「あの頃は毎日、中古の椅子を解体してきれいに錆をとって、名古屋に運んで再メッキして売る仕事をしていました。理容椅子はいつも触っていましたね。先代の会長はそういうことが好きな方だったんです」日々の仕事で椅子の構造を知り尽くした佐藤会長は、昭和34年に伊勢湾台風で大きな被害が発生したときにも、近隣の理容店の復興に貢献した。「台風による高潮で街が浸水した影響で、水浸しになった椅子がたくさんありました。当時の市場は57号が主流で、椅子の上部を取り外して、下のタンクに新しいオイルを入れるという作業の繰り返しでしたね。しばらくの間、毎日がその作業の連続で、腕が痛くてたまらなかったのを覚えていますよ」

タカラ会への特別な想い

福山商事の長い歴史の中でもタカラベルモントの存在は大きい。「昔からずっとタカラさんだけは一目置いての付き合いがありました。先代の会長はタカラ会の取り仕切りをやらせてもらった時期もあって、タカラ会をとても大事にしていたことをよく記憶しています。先代はもちろん、私も名古屋の営業所を中心に、タカラの社員の方々との交流があります。私はタカラさんの同行で営業がボツになった経験は一度もありませんでしたよ。必ず複数契約はもらえていましたからね」佐藤会長が3代目として会社を継いだ後も、先代はタカラ会へ行くことだけは譲らなかった。それだけタカラベルモントに対しては、強い思い入れがあった。

理容業界の未来へと寄せる期待

佐藤会長は入社するとすぐに自らパーマをかけた。その後、理容業の発展とともに、パンチパーマやヘアカラー、金髪などに次々と挑戦した。「ピンクの髪にしたときは息子がまだ小さかった頃だったので、さすがに驚いて泣いていましたね。ビジネスのために、自らを実験台にして髪を部分的に剃って、カツラを付けてみたこともあるんですよ」自分で試せることには、とことん積極的に、身をもって体験してきた。つねに探究心をもって全力で理容と向き合ってきた佐藤会長。「今、私は75歳ですが、70歳のときに社長を退いて、後継者として息子に会社を任せることにしました。基本的に、若い人がやりたいようにやってもらうという方針ですが、売り込む姿勢などはもっとこだわって大事にしてほしいという想いもありますね」ワックスなどの整髪料が充実してパーマをかける人が減っていたり、格安の理髪店が登場したりするなど、業界が難しく変化するなかで、つねに自らが身をもって理容と接してきた佐藤会長は、これからの業界の未来に対して、厳しくも温かい言葉でその想いを語った。「昔は技術を身につけることが収入に繋がりやすかったので、パーマやパンチアイロンなどの講習を開催しても、たくさん人が集まりました。5、60人の会場に百人ぐらい入ってました。50年ぐらい前かな。でも、今の時代は違う。理容店マスターの店づくりに対する感覚も、昔とはだいぶ変化していると感じます。そういった簡単ではない市況では、売り手はお客様の気持ちをいかに消極的な状態から積極的な状態に変えられるかが重要だと思うんです。そのためには元気であること、特にタカラさんのような業界の先端がどんどん元気になってくれることが必要なんです。タカラさんにはお客様の気持ちを変えることのできるような、さまざまな取り組みを期待しています」

取材日:2017年4月14日

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