「父の代では、美顔器を作っていて『美顔器の蒲生』と呼ばれていたこともあったんですよ」日本全国で広く事業を展開する大手美容ディーラー、ガモウの蒲生会長は先代から事業を継ぐ前の様子を振り返った。ガモウのルーツは、東京の九段にあった理美容器具卸商の近江屋商店で働いていた蒲生会長の父、蒲生清二郎氏が昭和2年に独立開業した「蒲生清二郎商店」にある。当時は、前述の美顔器のほかにもパーマネントの機械なども販売してメーカーの側面も強かった。そして、先代が逝去したことで、昭和35年に蒲生会長が若干19歳で事業を引き継ぐこととなった。「私の代になってからは、美容材料商に徹しました。つねに美容ディーラーとして、属した業界でより良いモノ、高級品を売っていこうという志向はありましたね」蒲生社長の情熱によって奏功したガモウは、今や全国の100万都市全てに店舗を構えるまでに事業を拡大している。
「ディーラーとして一流のモノを売るという信念のもと、今でも90%はタカラの器具を売っていますね」代理店会でも継続して売上トップを走るガモウにとって、タカラベルモントとの関係性は深く、その歴史も長い。蒲生会長は、1980年頃にタカラの初代、吉川秀信社長をはじめ、皆で代々木オフィスの9階で会食したことを懐かしく覚えている。「大阪万博も見に行って、タカラのパビリオンに入りました。大小さまざまなパビリオンがありましたが、タカラのものは未来を感じさせる内容で、印象的でした。初代とは、ご飯をいっしょに食べたりと親しくさせてもらっていましたね」
また、平成元年にアメリカのラスベガスで行われた見本市「BBSI」に参加した蒲生会長は、そこで開催されたタカラナイトで、2代目の秀一社長が講演されていたのを鮮明に記憶している。「秀一社長が亡くなった年の出来事でした。当時、秀一社長には全美商連とBBSIの姉妹契約の仲立ちをしていただきました」蒲生会長は、今でも秀一社長の紳士的で穏やかな姿が思い出される。「前年には、赤坂の料亭で会食したのも思い出のひとつです。今後のタカラについてお話しいただいたのが印象的でしたね」
そして、3代目の秀隆社長とは、海外でのイベントやタカラ・ビューティーメイトの役員会でも度々会う仲だ。蒲生会長は、かつて秀隆社長の結婚式にも参列した。「今年の3月には、イタリアのボローニャへ業界を担う次世代の経営者を連れて行ったのですが、そこでも秀隆さんに忙しいなか会食に付き合ってもらいました」また、タカラベルモントの次代を担う朋秀常務(現専務)とガモウの蒲生典子社長との関係性にも期待を寄せている。「若い次世代を担う人材たちが集まって、会合を開いたりしているようです。これからの業界にとっても、良いことですね」
美容ディーラーとして確固たる地位を築くガモウの蒲生会長は、さらに未来を見据えて将来の展望を語る。「うちの会社は1本のピンから夢(YUME)まで売るとよく言っているんです。メーカーをやろうとか、サロン経営をやろうというわけではなく、美容材料商の範囲でどこまでやれるか。良いものがあれば、国内のみならず世界のモノも売っていきたい。ひいては、日本の美容師たちの地位向上や収入が増えて良い業界だと感じられるようにしていきたい。そのためにも、価格競争ではなく、文化としての美容が育つような環境を作っていきたいですね。ライフワークとして美容師さんたちが生涯取り組めるような業界を目指して、そこに寄り添える業者でありたいと思います。その考えのもと、ガモウのサービスが全国に行きわたるような事業拡大を図っています」また、蒲生会長が文化としての美容の発展に向けて、タカラベルモントへ期待する役割は大きい。「タカラは初代の秀信社長の時代から、つねにより良いものを作って、業界をリードしてきました。そのタカラだからこそ、今まさに美容業界が直面している、新規参入や海外労働者問題などの取り組むべき課題に対して、リーダーシップをとっていただければと思います」
取材日:2018年6月12日