100th ANNIVERSARY タカラベルモント株式会社

カミオ株式会社 代表取締役 富田征子会長
代表取締役 新田千鶴子社長
新しきを求める心は100年の時を超えて

はじまりは出張美容室

「タカラさんとの付き合いは日本髪のときからなんですよ」

富田会長が、妹の新田社長とともに、やさしい笑顔でカミオの歴史を語りはじめた。1921年、花柳界に近かった金沢の石坂河岸の地に、創業者の津山芳子氏が津山結髪所を開業した。「当時は、出髪だったんですよ。芸者さんのところへ出向く、出張美容室みたいなものですね」創業者の津山氏が先生で、あとは先輩のお弟子さんと富田会長と新田社長の母、その3人で何件も客先を回っていたという。その後、しばらくして津山氏が神尾理一氏と結婚し、北石坂新町に現在の前身ともいえるカミオ美容室を開店した。

数々の歴史を振り返るなか、富田会長はタカラベルモントとの付き合いで、これだけは絶対という印象的な思い出があるという。「まだエステなど全くない時代に、お店で全身美容をはじめたんです。そのときに使ったのが、ドイツ製の、箱から首だけがちょこっと出るような、人間が丸ごと洗浄機に入るような機械でとてもインパクトが強かった。その大きな機械を入れたのがタカラさんからだったかと記憶しています」当時、世間ではまだまだ全身美容の関心は薄く、主に芸者さんなど玄人の方がお客様として利用していた。「あまりにも昔。ものすごい昔だものね」と新田社長もうなずく。時代に先駆けて新しいものを積極的に取り入れるタイプだった先代は、他にもお店にお風呂を設置したり、スチーマーを導入したり、マッサージ師を雇ったりなど、投資を惜しまなかった。そして、その気風は今でもカミオグループに脈々と息づいているという。

いつも身近にあった「美容」という存在

今のように託児施設などなかった時代、富田会長も新田社長も、幼少期から「美容」の現場が目の前にある環境で育った。「私たちの母は独立してひとりでやるようになったので、2人そろってよく先生のところに預けられた。先生や、先生のご主人のお母さまによく遊んでもらいましたよ」子どもの頃から、お店のなかで遊んでいたという新田社長。「お人形さんを相手によく美容師の真似ごとをしていました。遊びのなかに自然と『美容』が入ってくるような感じで」その姿が先代の目に留まり、2人がカミオを継ぐことになった。「私たちは創業者の実子ではないんですが、とても可愛がってもらって。子どもの頃から目をつけられていたのかもしれないですね。この子(富田会長)は経営者に、この子(新田社長)は現場の美容師に、って」と富田会長は笑った。そして、新田社長も続ける。「実は、うちの子どもたちも姉の子どもたちも、誰もやれと言ったわけではないのに、みんな今、美容をやっているんです。そして、今では孫たちまでもが美容をやりたいって」世代を超えて、身近にある『美容』に魅かれ、後世にその心が引き継がれていく。そのような状態が自然と生まれていることに、富田会長も新田社長も幸せそうな表情を浮かべた。

原点に立ち返り描く未来の姿

今もなお、時間があるときは美容師としてお店に立ってお客様をスタイリングするという新田社長が、これからのカミオについて語った。「私自身、手の動くうちはずっと、若い人のヘアスタイルもできる自分でいたいんです。キャリアとかは関係なく、今を感じるものを作って提案できる人材こそが優秀だと考えます。昔も今のカミオも、新しいものを追求する姿に変わりはありません」新田社長は、美容の原点、そしてお客様の笑顔を追求するために、あえて売上などの数字目標をなくした。スタッフが目先の数字ばかりを追うのではなく、各々が純粋に理想の美容を体現できる環境を整えたという。「美容の本道を貫いて、感謝の気持ちがあふれるカミオでありたい」そう力強く語る新田社長は、もうすぐ100年を迎えるカミオと継続していく未来をしっかりと見据えていた。「美容というのはとても明るい世界だと信じています。タカラさんは業界でつねに先の未来と明るさを感じさせてくれる存在です。これからもそういう意味でしっかりとリーダシップをとっていただけるとうれしいです」

取材日:2017年7月11日

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