100th ANNIVERSARY タカラベルモント株式会社

株式会社笠原商店 代表取締役 笠原明子社長 東北のディーラーとしての誇りを胸に

不意の深夜訪問からつながったご縁

「とても強く印象に残っているのですが、夜遅くに秀信社長が自らトラックを運転して突然やってきたんです。一人では重くて運べないので理容椅子を上下にバラして持ってきて、店頭で売り物のランプを磨いていた義理の祖父に向かって商品を熱心に説明されていましたね」笠原社長は、そのときに初めてタカラの存在を知った。当時、東北エリアを開拓すべく、自らの足で営業を精力的に行っていた、タカラの初代吉川秀信社長が笠原商店を訪ねたことで縁が生まれたのだ。その後、秀信社長が東北一円を回った成果として、タカラの製品を扱う代理店を集めた「東北タカラ会」が誕生した。

戦火をくぐり抜けて秋田の地へ

東京の四谷で生まれ育った笠原社長は、若かりし頃、戦火を逃れて、妹とともに母の生まれ故郷である秋田へと疎開した。そして終戦後もこの地にとどまり、昭和22年に海軍所属だったご主人と結婚した。舅姑がやっていた当時の笠原商店は、電気代わりのランプを売ったり、刃物を研いだりすることを商いとしていた。「あと、近くにたった1軒でしたが髪結いさんがいらっしゃって。そちらに、鬢付け油とかパーマ液とかを量り売りもしていたんです」理美容器具のディーラーを営むようになった現在のルーツを語った笠原社長は、さらに続ける。「その頃は帳簿もなかったんです。そうしたら主人に『おまえ、簿記はできるか』と聞かれまして。私は当時、商業の専門学校を出たばかりだったのですが、すぐに経理もやることになりました」ご主人をはじめ、家族で力を合わせて営んできた思い出を、笠原社長は懐かしんだ。

温かく深い従業員との絆

昭和2年の元日生まれで、現在もなお力強く笠原商店を営む笠原社長は、これまでの発展を振り返るとともに、未来に寄せる想いを語った。「私にとって従業員は家族のようなもの、つまり子どもや孫のようなものなんです。従業員はみんな高校を卒業して笠原商店の一員になり、私が礼儀作法などを一から教えて、立派に育ってくれました。これからも新しい人たちを笠原商店に迎えて、しっかりとした礼儀作法を備えた人材を気合を入れて育てていきたいと思っています」。母のような、厳しくも優しい心で従業員を想う笠原社長は、長い間親交を深めてきたタカラへの想いも語った。「東北には代理店を無闇に増やすことなく、各県に2つづつ設けられました。私はこれまで、そして現在も誇りを持って、東北にある代理店の1店として、タカラの商品を扱っています。タカラには、これからも永く頑張ってほしいと願っています」

取材日:2017年5月29日

キーワード

Youtubeリンク