100th ANNIVERSARY タカラベルモント株式会社

株式会社きくや美粧堂 代表増保 憲一会長 青年期から共に歩むタカラへの想い

タカラ東京進出と創業期の回顧

「私の青年期と、タカラの東京進出したタイミングがほぼ同じなんです」そう語るのは、昭和23年創業の老舗美容ディーラー、株式会社きくや美粧堂の2代目、増保会長だ。「当時、東京ではタカラとうちで共同の営業活動をしていました。ヘアドライヤーが全盛期で、東京では地場のブランドが強かったんですが、タカラが進出するとあっという間に市場を席巻しました。品質も良くて頑丈で、当時では珍しくアフターサービスも充実していたのがよかったのでしょう」さらにローンやリースなどの仕組みも早くから手がけていたタカラベルモントは、東京の市場に素早く食い込んでいったのを記憶している。「当時、東京を見ていたタカラの秋山少将にはいろいろとご協力いただき、助けてもらいました。その後もアームドライヤーが出たときなども、とても目新しかったのを覚えていますね」
古くからタカラベルモントと共に歩んできたきくや美粧堂は、今年で創業70年を迎えた。「戦後、海軍から戻った私の父が職を探しているなかで『これからは女性の時代が来る』と確信してこの商売をやるようになったそうです。最初の1、2年は協働していた方がいたのですが、ほどなくして独立して母と2人でやるようになったのがうちの始まりです」

思い出深い歴代社長との親交

増保会長は、タカラベルモントの初代秀信社長の雰囲気を鮮明に記憶している。実は、増保会長は大学在学中に、秀信社長の孫で現タカラスタンダード社長の渡辺岳夫氏の家庭教師を務めていた。「大阪から東京に出てくると、秀信社長はいつも渡辺家に泊まっていました。私は家庭教師を終えて渡辺家でお茶や食事などをいただくことがあったのですが、そこに秀信社長がいらっしゃって、呼ばれて目の前で話をしてくれることがありました。身体が大きくて独特のオーラがあり、緊張したのを覚えています。気さくな人柄で下の人にも声をかけてくれる立派な方でしたね」
2代目の秀一社長は、そのスマートな印象が残っている。「ウエラの件があって、私の父がウエラの方を手伝ってしまったときも、秀一社長は『お互い頑張ろう』と快く送り出してくれました。その後、ルベルをやることになったときには、父といっしょに私も秀一社長と食事をさせていただきました。秀一社長は、初代の秀信社長が大きく広げた商売を整理して、組織化、そしてシステム化することに尽力されていたのが印象深いですね」
3代目の秀隆社長とは、青年期を共に苦労して走り続けて、今でも会って食事などをする間柄だ。「秀隆社長とは干支が同じなんです。私と秀隆社長と著名な美容家2人の合同で、盛大に還暦祝いをやってもらった思い出もありますよ。うちが池袋支店を開設したときに見にきてくれたりもしました。私は30歳で社長になったのですが、彼も同じく青春時代から社長として苦労してきた。今は、『ごくろうさん』と言いたいですね」

気持ちでつながるタカラとのこれから

創業から半世紀、タカラベルモントとの関係は深まりずっと続いてきた。「これまでを振り返り、あっという間の50年だと感じています。これまでタカラが美容業界に投資したエネルギーは、金銭的な面も含めてとても大きい。タカラが捧げたその莫大な遺産を次世代に継いでもらって、よりよいディーラーとの関係の上に、次の100年につながるようになってもらいたいと願っています」増保社長は、夢とともに美容業界のさらなる発展を期待する。「Jリーグができたときにヘアカラーのブームに火がついてマーケットが大きくなった。その後にパソコンやインターネットの普及で、情報をコンパクトにできるようなった。これは我々の商売にとってとてもよく働いたと思っています。そのおかげもあってガバナンスを効かせて商売ができる。まだまだ美容業界は発展の余地があると感じています。タカラの4代目の朋秀氏も、活動的で足回りが良く、クリエイティブな面もあって、成長と成功が見込まれますね。タカラベルモントと共にこれからも日本の美容業界の中心部分で繁栄できることを願っています」

※文中の肩書は取材当時のものです
※増保憲一氏は2021年10月12日に逝去されました。
ご冥福をお祈り申し上げます。

取材日:2018年8月29日

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