100th ANNIVERSARY タカラベルモント株式会社

ミズノ株式会社 代表取締役 水野雅毅会長 明治創業から戦火を超えて新時代へ

徳川家に藩士として仕えた武士の家系

「前身の会社は土屋商店という屋号で、私の四代前になりますが、水野善蔵が明治13年に開業したのが始まりです」そう語るのは、名古屋で140年近く続く老舗の大手美容総合商社、ミズノの四代目である水野会長だ。もともとは徳川家に仕える藩士だった創業者は、明治維新とともに武士から離れて、現在のルーツとなるような事業を行なうようになった。「当時は、まだ女性は和服に日本髪で美容が盛んな時代ではありませんでした。櫛や鬢付け油などを売るような美容関連の商売以外にも、武士から転身した際に与えられた土地を使って、借家を設けて不動産業も営んでいたようです。実は、現在のミズノという屋号は昭和59年からなのですが、それまではずっと、私の祖母の実家の土屋という姓から取って、それを屋号としてきたんです」

第二次世界大戦の時には、一帯が空襲に遭い、焼け野原になった。「戦時中、先代である私の父は、学徒動員で引っぱられて、憲兵場で訓練を受けていました。終戦がもう少し延びていたら、父も私も存在していなかったと思います。戦争が終わって、私にとっての祖父母、即ち父にとっての両親はめちゃくちゃになった店を直向きに片付けていたそうです。父は、その姿を目の当たりにして思うところがあったのか、事業をいっしょにやるようになったんです」

先代から続く吉川家との親交

タカラベルモント との関係は、先代とタカラベルモントの初代である吉川秀信社長との親交から始まった。「また、先代は二代目の秀一社長とはいっしょにいろいろなビジネスもやったみたいです。私もたまに父に連れ出されて、秀一社長や現在の秀隆社長など吉川家の皆さんと、ゴルフや食事などをいっしょにさせてもらったこともありますよ。秀一社長は、私の結婚披露宴にも来ていただき、スピーチをしてもらいました」会社対会社の関係性にとどまらず、家同士のお付き合いでタカラベルモントとのご縁は深いものとなった。「高度成長期のときには、美容室が器具を何年かに一回は入れ替えるような時代でした。その頃は、秀一社長にも結構来ていただいていましたね」

変化する時代に合わせた未来の美容を

現在のミズノは、平成29年から水野会長の長男である大志氏が、後継者として社長を務めている。「普段の生活をしていても、スマホやAI、ロボット、インバウンド需要の拡大など、時代がものすごいスピードで変化していることを実感します。お客様である美容室のオーナーやスタッフも20代や30代と若い人が多いので、新しい時代に向けて早いうちに事業を息子に任せることにしました」これからの美容を見据えて、後継者へと夢を託す水野会長は、信頼を寄せるタカラベルモントへの期待も語った。「これまでも、そしてこれからも美容業界において、タカラさんがリーダーであることは間違いありません。自動車業界でいうところのトヨタのように、器具や水物、システムや技術情報など、あらゆる面で引っぱって行けるリーディングメーカーがいないと業界は安定しないと考えます。そういう意味でも、タカラさんにはこれからも業界には大いに貢献していってほしいと思いますね。今までがアナログだとすると、これからはデジタルが台頭する時代が来ています。新しい時代の未来的なものを取り込んで、どう業界にうまく落とし込んできてもらえるか。タカラさんの役割はこれからもっと大きくなっていくと思います。そして、これからも我々にプロフィットも含めて、いろいろと教えていただきたいと願っています」

取材日:2018年12月18日

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