「創業は明治7年です。10年ほど前には、商工会議所から創業130周年の表彰を受けました。私で4代目なのですが、だいぶ昔に遡るので初代のことはよくわかりませんね」そう語るのは、愛知県岡崎市で140年以上続く老舗、シバタの柴田社長だ。創業当初は、金物屋として商いを行なっていた。「今のような理容関係の商売は、先代の父が始めました。もともと金物屋でバリカンやハサミを扱っていたので、その流れもありますね」大正15年生まれで86歳にて逝去した先代は、若かりし頃は特攻隊に所属していた。「父は、特攻隊の人間魚雷『回天』の教官を務めていました。基地が広島の呉にあり、戦争では教え子が何人か亡くなりました。戦後は物がなく、バリカンなどの商材を仕入れに東京に出向いていました。その頃は混乱の時代ということもあって、有事に備えて父は懐に短刀を忍ばせて、夜行列車など電車を乗り継いで移動していました。当時はとても苦労したと思います」昔は、ベイラムやトニック、ポマードなど、理容関連の商材も種類が限られており、質も良くなかった。「ポマードはうちでも家内工業的に自家製のものを作っていたのを覚えています」
先代は、岡崎市を拠点に商売をしながら、商圏の拡大にも力を注いだ。「父には兄弟が6人いたのですが、そのうちの5人がこの商売に関わっていました。父が主体となって、兄弟と協働して名古屋、豊橋にも支店を出して、愛知県下を隈なく回ることのできる体制を整えました。さらには、静岡、岐阜や三重の一部も商圏に入っています」
140年続くシバタの歴史のなかでは、タカラベルモントとの縁も長きに渡っている。柴田社長は、幼少期に木枠に入ったタカラベルモントのホーローの椅子が届いたことも記憶に残っている。「高度成長期にあって、理容業界がどんどん発展していく様を目にしてきました。床屋にも、アイロンやパーマなどのさまざまな新しい技術が入って、活気がありましたよね」
タカラベルモント の2代目、秀一社長には、結婚式で祝辞を頂戴した。「私の結婚式にいらしてくださり、お世話になった思い出があります。温厚で、すごく真面目な方という印象が残っています」
現在、66歳の柴田社長は、タカラベルモントの3代目、秀隆社長とは同世代だ。「秀隆社長とは、全国代理店会議などでお会いするときに、ちょくちょくお話をさせてもらったりしています」
近年は理容に続いて、平成17年に「シバタ ビューティーネッツ」と称した美容部門を開設して、美容関連事業にも注力している。「シバタ ビューティーネッツでは、私の従兄弟が責任者を務めています。私の子どもは娘2人で外に出たのですが、従兄弟の息子も現在はこちらで働いています。シバタのこれからは、そちらにつながっていきます。もともとはバーバーが主体でしたが、美容部を立ち上げて14、15年経ちました。現在は、床屋を営む皆さんも高齢の方が多くなって、後継者もなかなかおらず、理容業にとって厳しい時代にあると感じています。美容関連事業はまだ本格的にはなっていませんが、軌道に乗ってほしいと願っています」シバタのさらなる発展に尽力する柴田社長は、タカラベルモントに寄せる期待も大きい。「ルベルもずっと扱っているのですが、本当にやらせてもらってよかったと思っています。タカラの営業マンは優秀な方が多い。よく動いてもらっていますので、これからも良い関係を続けていきたいですね」
取材日:2017年3月14日