100th ANNIVERSARY タカラベルモント株式会社

株式会社トガシ 故 冨樫悦永会長 私が生まれた年が我が社の創業年

名古屋市中村区に本社を置く理美容の業務用商材ディーラー「株式会社トガシ」は昭和12(1937)年の創業だ。

「父は名古屋の器具商で修行した後に独立して、創業にこぎつけたようでした。器具屋では当時、カミソリやハサミを売っていたと思います。創業の地は現在本社があるところではなく、今の西区菊井になります。実は創業と言っても、あの頃のことなので本当の創業年は定かではありません。私が生まれた年が創業年ということになっているようです」

その年、日中戦争が始まった。日本はどんどん軍国化し、若者は徴兵で数が減っていき、街からは武器を造るために鉄がどんどんと無くなっていった。「父にも召集がかかり、近くの工場に働きに行っていましたね。実際、商売をしようにも売るものもありませんでした」

店は戦後、父の努力で復興される。冨樫会長はまだ小学校に入って間もない頃だったが、父と共に訪れたその頃の理容店の雰囲気を今もよく覚えている。「店には大将と呼ばれる主人がいて、見習いがテキパキと働いていました。その頃の理容店には徒弟制度のような雰囲気がありましたね」。戦後間もない頃は売るものがなくて困ったそうだが、しばらくするとみんなが髪の毛を気にする時代になった。理容器具の本格的な生産も再開され、理容関係の器具は非常によく売れた。

「父は創業者の秀信さんと代理店会議でよく会ったと言っていました。私も父について会議に出かけ、秀信さんをちょくちょくお見かけしました。ちょっと太った、恰幅のいい人でしたね」

56、57号、荷下ろしと同時に売れた

冨樫会長は社長就任こそ60歳になってからだが、すでに若い時から実質的な仕事は父から引き継いでいた。もっとも親しくしたのは2代目、秀一社長の時だ。「うちはずっとタカラベルモントさんと付き合って来ました。最初に扱った理容椅子は56号、次が57号。どちらもよく売れましたね。大きなトラックの荷台に2段にして積んできてもらい、荷下ろしをした途端に買い手がついて、そのまま置いて帰るという状態でした。今のような梱包ではなく、いろいろなものを詰め込んで椅子が壊れないようにしてましたが、時々、破損したものもありました。おおらかな時代でした。決済もそんな時代なら現金でやりそうなものですが、信用貸しみたいなもので、その場ではお金はもらわず、置いて帰りました」

3代目秀隆会長との付き合いが始まってからも、器具だけで年商1億円を超えたこともあったそうだ。現在、冨樫会長は社長職を息子に譲っている。

タカラさん、頑張る店にもっと応援を

タカラベルモントが近く創業から100年を迎える、と聞いて冨樫会長は「理容業界のために頑張ってほしい」と期待する。「理容店の利益がもっと上がるようにいろいろな意味で協力してもらいたい。それとともに、我々、ディーラーも潤うような工夫をしてもらえたらありがたい」と話す。トガシの顧客の95%はいわゆる「床屋さん」。その他はユニセックス的な店だという。「最近は変わった店もできて、工夫している店はそれなりの利益を出している。しかし、そうでないところはどんどん苦しくなっている」。中には、跡取りがいないというので、閉店する店も出て来ているという。1000円の散髪店に押されているのも事実だ。
「タカラさんには、しっかりと頑張っている店がさらになり、大きな利益を上げられるよう、様々な角度から応援してもらえればありがたい。100年を機に、業界全体のリーダーとしてもっと盛り上げてくれるようにお願いしたい」。

取材日:2017年1月16日

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