苦労も多かった創業当初
「独立起業したのは昭和47年の2月で、私が25歳のときでした。もともと大阪の生まれで、いろいろあってこの我孫子の地で始めることにしました。それまでは理美容関連の会社に勤めていて、そこの直販部に所属してサロンを回っていました」そう語るのは、大阪住吉に本社を構えてまもなく創業から半世紀を迎える美容代理店、ワールド美容の岡田社長だ。創業当初、従業員が3、4人だった頃には苦労も多かった。「一番苦労したのは、従業員の給料や諸々の支払いを済ませると、手元にほとんどお金が残らないという時期があったことです。だから、当時は現金販売の商売で、新規開拓を積極的に行っていましたね」苦労を重ねながらも岡田社長の尽力によって、事業はさらに拡大していった。また、阪神・淡路大震災の時には、未曾有の状況を経験した。「震災後はしばらく営業活動にも困難がありました。日中は交通規制が厳しかったので、朝の4時に営業に出発して、美容室の裏に届ける商品を置いていって、9時くらいに戻ってくるということもしていました」
そして、つねにサロンの繁栄を願って、お客様の商いを支え、寄り添ってきた。
事業発展のそばにあったタカラの存在
「タカラさんとの付き合いは器具からなんです」昭和52年、岡田社長が30歳のときに、はじめはタカラベルモントの特約店として関係がスタートした。その後、昭和54年にはタカラベルモントの器具販売の代理店となった。「代理店会議では、初代の秀信社長が来られたこともありますよ。ご高齢だったので車椅子でしたが、出て来られて感無量とおっしゃっていたのを覚えています」
そして、当時の大阪営業所長からの紹介を受けて、昭和55年にはルベルの取引もスタートした。「ルベルを始めた頃は、まだルベルの名前が知られていなくて困難がありました。当時のルベルの営業担当といっしょにどうしたら買ってもらえるかを考えて『タカラベルモントのルベルです』と言うようにしたりしていましたね」
また2代目の秀一社長とは、2回ほど食事に行った経験がある。「確か、大阪のロイヤルホテルとニューオータニだったと思います。私は当時30代だったのですが、よく私と食事してくださったなと思います。とても紳士な方だったという印象です」そして、3代目の秀隆社長とは、たびたび代理店会で顔を合わせる。また、朋秀常務とも何度か会って、言葉を交わしたことがある。気さくな人柄という印象だ。「それと、タカラさんと取引させてもらうようになってからは、ニューヨークをはじめ、いろいろなところへ行かせてもらいました。そうした経験から得た商売のアイデアもあるんですよ」
タカラから受けた感銘とこれからの展望
「タカラさんはこの業界でナンバー1だと思っています」岡田社長は、タカラベルモントに全幅の信頼を寄せている。「タカラさんは、業界のことを考えていつも一生懸命にやられていると感じます。万博への出展もそうでしたが、儲けだけではなく、業界を育てるという姿勢には感銘を受けます」タカラベルモントの営業担当も優秀なので、安心して任せられると信頼は厚い。
また、ワールド美容がこれから向かう未来について、岡田社長は想いを語った。「今後は誰かにあとを継いでほしいと考えています。次世代を育てるためにも、今はもう私は営業会議には出ないようにしているんです。一方で、年を経てからはより一層自分で動かないといけないとも思っています」現在も営業担当として自ら回っている店舗がある。「先方は、年のいった営業が来ているなと思うくらいで、まさか社長が来ているとは知らないんですよ」今もなお現場を大事にする岡田社長は、笑顔で自らの築いた事業の将来を見据えていた。
取材日:2018年10月25日