100th ANNIVERSARY タカラベルモント株式会社

株式会社吉田大正堂 代表取締役 吉田 宏会長 初代秀信社長と父の親交を偲んで

父にとって心安い友人だった秀信社長

「先代である父は、初代の秀信社長との話はよく楽しそうに喋っていましたよ」そう語るのは、創業100年を超える理容ディーラーの老舗である株式会社吉田大正堂の3代目、吉田宏会長だ。「秀信社長に同行して、理容椅子を売りながら、鋳物用のコークスを買って、余ったお金は全部飲んでしまった、とよく父が楽しそうに話していました」膝を突き合わせて酒を酌み交わす仲で、先代は秀信社長に頼まれて理容椅子を購入して、代わりにコークスを貨車で長浜から大阪まで送ったこともあった。大阪に出向く際には、タカラベルモントの社長室を訪ねて、秀信社長と喋るのを楽しみにしていた。「訪ねた時には、秀信社長の奥様で女優だった森静子さんとも気楽に話をさせてもらったそうです」昭和50年11月に現在の吉田大正堂の事務所ができた際には、先代が秀信社長に来てもらえるようにお願いをした。「そうしたらリムジンに乗ってわざわざ来ていただき、お祝いの挨拶をしてもらえたんです。父にとって、秀信社長は心安い友人のような存在だったのだと思います」
また、タカラベルモントの役員を務めた松田理氏にも世話になった。「実は松田さんの従姉妹が、私の友人の外科医のところに嫁に来ていたという縁もあって、皆でいっしょに食事をしたこともありました」松田氏とは、頻繁に同行販売をさせてもらうことがあった。また、先代が亡くなった時には葬儀委員長も務めてもらった。「その後、ルベルの事業部をやっているときにはセミナーにも来てもらいました。何かあって相談するといつもすぐに飛んで来てくれましたね。吉田大正堂がうまくいくように、帳簿などを見せてアドバイスをもらうこともありました。よく考えたらすごい方なのに、とても気軽に頼ませてもらっていました。今の会社があるのは松田さんのおかげといっても過言ではありません」

金物屋の番頭から独立して理容業界へ

吉田大正堂は、もともとは金物屋の番頭を務めていた吉田会長の親族が独立して創業した。「実際は数年前から「朝日館」という名前で商売をしていたようなのですが、ちょうど大正元年に合わせて吉田大正堂と命名して理容器具を扱う代理店として創業しました。砥石やバリカン、カミソリなどといったものは、昔、理容専門ができるまでは金物屋の取り扱い品目だったので、その流れもあるのでしょう。初代はその後、50そこそこで亡くなったため、大阪に丁稚奉公に行っていた私の父が急遽戻って、弱冠19歳で2代目として後を継ぐことになったのです」当時は、方々で借金を踏み倒されて、お金をもらえずに苦労することもあった。

未来の理容業界を担う若者への期待

一世紀以上の時を越えて理容業界とともに歩む吉田会長は、現在のマーケットへの想いを語る。「今の時代は、後継者がいなくて廃業していく理容店も多くあります。若い人たちが、よっぽど心してバーバーの店づくりをしていかなければ状況は変えられないと感じています。私からすると、まだまだ店づくりの感性や経営力の弱さを感じることがあります。しっかりと向き合って取り組むことで、もう少し変わってくるのではないかという期待がありますね」また、現在のマーケットに変化をもたらす可能性のある、新しいバーバーの形態についてのアイデアも持っている。「私は、最近はよく女性でバーバーを営むことを提唱しているんです。理容学校には女性が少なくて、入っても辞めてしまう人が多いので簡単ではないとは思うのですが、女性の理容師だけでバーバーを経営したらきっとおもしろい。男性客はもちろん、女性客にも足を運んでもらえると思いますよ」技術だけでよかった時代は過ぎて、これからはソフト面での強化が必要と吉田会長は考える。「タカラさんには、この業界の若い人たちが夢を見られるように、これからも一層みんなを牽引していってもらいたいと期待しています」

取材日:2016年12月8日

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